Pocket

2012年〜2013年。

一生に一度しか経験しないんじゃないか?ということが、立て続けに起きて、

今思い出しても、自分のことでないような感じです。

 

2012年の後半、肺がんの術後の経過は良好で(痛いし、苦しかったけど)、バリバリ仕事してました。

業務プロセス&基盤システムの再開発のPM(プロジェクトマネジャー)をやってましたが、

最初の難関、”要件定義フェーズ”が終了する頃にふと思い立ちます。

 

「ヨガの勉強がしたいなー。」

「そうだ、養成講座に行こう。」

 

冷静に考えると、「カラダ休めようよ…まだ肺が苦しいのに。」なのですが、

なぜか、「行くのだ」と決めています。

そして、次に仕事が忙しくなるタイミングまでの間の講座を、ちゃんと見つけます。

肺がんの手術直後であることを伝えた上で、申し込みます。(だから休もうよ。笑)

 

講師は、Romy。

ヨガティーチャーとしても、女性としても、本当にステキなRomy。

(そういえば、後々、アーユルヴェーダでがっつりつながる貴ちゃんとの出会いもここだったなぁ。。。)

ヨガサロンことは_RYT200_01 ヨガサロンことは_RYT200_02

 

そして、時を同じくして、2回目のがんと対面することになります。

 

2013年1月。

人間ドックで、「肺がんもやったことだし、一度やってみようかな。」と、

初めてマンモグラフィーをやってみたところ、

「左乳房に石灰化あり。要精密検査。」

という報告書が届きます。

 

乳腺外科を尋ねたところ、

「乳がんの可能性があるので、生検(細胞診)をしましょう。」

とのこと。

 

「また、がんかもしれない。」

「私は、死ぬのかもしれない。」

 

週末養成講座に通いつつ、仕事の合間をぬって病院に通う日々が始まりました。

でも、慌てふためくこともなく、いたって普通にすごしていました。

話したのは、家族、親しい友人、会社の数人だけだったので、誰も気づかなかったと思います。

 

話を養成講座に戻します。

 

アーサナ(ポーズ)やら、解剖学やら、いろいろ学ぶのですが、

生まれて初めて、『ヨガ哲学』となるものに出会います。

 

哲学なんて、何がおもろいのかさっぱりわからん…

目に見えないもの、スピリチュアルなものなんか、意味ないやん。見えないんだし。

と、形あるもの、実感できるもの、自分の意思と努力、しか信じてなかった私ですが、

「死ぬかもしれない」

という感覚と、365日一緒にいたことで、今までと違うアンテナが働くようになります。

 

パタンジャリの『ヨガ・スートラ』の言葉が染み渡ります。

ヨガサロンことは_ヨガスートラ01

ヨガサロンことは_ヨガスートラ02

YOGAS CHITTA VRITTI NIRODHAH.
心の作用を止滅することが、ヨーガである。

 

そして、という概念を、初めて自分のこととして考えます。

BODY-MIND-SPIRIT

もちろん、言葉は知っていたけれど。

魂って何か、自分の魂って何かを考えたことはありませんでした。

 

「あぁ、そうか。身体は死んでも、魂は続くんだ。」

「死んでも、死なないんだ。」

 

理解が正しいかどうかは別にして、ヨガ哲学(というかヨガそのもの)が、

「死ぬことへの恐怖」

をやわらげ、私の心をずいぶん落ち着かせてくれたのでした。

まさに、YOGAS CHITTA VRITTI NIRODHAH.

 

3ヶ月間の養成講座が終わり、

卒業の翌日、正式に乳がんの告知を受けたのでした。

続く。

 

ヨガサロン ことは
チャクラヨガティーチャー Shoko
HP:http://chakrayoga-kotoha.jp
mail:chakrayoga.kotoha@gmail.com